首里劇場調査レポート その5【暫定版】

文:普久原朝充

▲首里劇場に残るレンガのカマド

首里劇場の奥にあるレンガ造かまどについて、関連あるかと思って、戦後の生活改善運動における改良かまど調べてたんだけど、なんか別の方向に突っ走ってしまった。

  • 沖縄タイムス「〔広告〕驚異的な燃料経済/手塚式万能竃現る/指定製作工場」
    1951年(S26)07月01日[日] 2面
  • 沖縄タイムス「〔広告〕「石油コンロ」をこれからお買い求めになる方へ/協立振興株式会社」
    1952年(S27)08月28日[木]{朝} 3面
  • 沖縄タイムス「区民便り/進む生活改善/模合で台所の合理化/五カ年計画で村の建直し」
    1954年(S29)03月04日[木]{夕} 2面
  • 琉球新報「季節外れの火事頻り/竃のコンロ化時代の所産/きのう軍から消防車四台払下げ」
  • 1954年(S29)09月16日[木]{夕} 2面
  • 琉球新報「生活改善大会/先ず台所の改善を/生活合理化は婦人の手で」
    1955年(S30)06月05日[日]{夕} 2面
  • 沖縄タイムス「無尽でカマド改善/美里区の奨励会」
    1956年(S31)01月15日[日]{朝} 3面
  • 琉球新報「カマドの改良/読谷村がトップ/都市より農村が盛ん/生活改善」
    1957年(S32)05月07日[火]{朝} 4面
  • 沖縄タイムス「町から村から/カマド改善視察」
    1957年(S32)06月29日[土]{夕} 3面
  • 琉球新報「今年発足する新会社の横顔/今月末から操業開始/一日九千立方米を生産/沖縄ガス」
    1960年(S35)01月09日[土]{朝} 1面
  • 琉球新報「〔広告〕ケロシン販売市場の安定に関する請願」
    1960年(S35)02月25日[木]{朝} 3面
  • 沖縄タイムス「〔広告〕沖縄マルヰプロパン発足/代理店」
    1962年(S37)04月08日[日]{夕} 1面
  • 沖縄タイムス「〔広告〕リンナイガスコンロ」
    1962年(S37)07月08日[日]{夕} 4面
  • 琉球新報「火花散らす〝プロパン商戦〟/コザ/あの手この手で売り込み」
    1963年(S38)06月22日[土]{朝} 6面
  • 沖縄タイムス「火だるまになり重傷/内縁の夫がケロシンかけ火つける」
    1963年(S38)07月15日[月]{夕} 3面
  • 琉球新報「〔広告〕都市ガス配管工事従業員/募集」
    1973年(S48)02月11日[日]{朝} 6面

「…又家庭燃料が薪からケロシン、ケロシンからプロパンガスと更に那覇市においては、1960年2月の沖縄ガス株式会社による都市ガスの供給開始と、1968年の沖縄下水道公社の設立に伴い那覇、宜野湾、コザの各下水道の供用開始により衛生環境も一段と改かくされ,加えて年を追って改善開発される新建材の登場によって質的にも向上発展して今日に至った」
(山里銀造「沖縄の居住形態の変せん」/『沖縄建築vol.07-2(1972) 復帰記念特集号』所収)

ちなみに、「改良かまど」というのは、熱効率を高め薪燃料が少なくて済むように作られたもののようだ。日本本土でも戦前から農村などで奨励されてきた。蓋付きの焚口と通風口を上下に持ち、余熱利用も考えられており、排気のための煙突があるので、それまでのかまどとは異なるようだ。近年も青年海外協力隊によって開発途上国で普及させているという。よって、いろいろ調べた結果、首里劇場のレンガ造かまどは「改良かまどでは無い」という結論になってしまったが、時代背景や変遷とともに考えると面白い。

1950年代の沖縄の生活改善運動の頃は、農村では未だ「三つ石のかまど」も残っていた。1960年までは薪燃料によるレンガ造のかまど、石油コンロなどを使っていて、1960年以降に、ガスコンロが普及するという具合だろうな。

参考文献

居関久男『農家向き改良かまど―作り方・扱い方』1958
森川規矩『改良かまど築造の技術』1952