首里劇場考古学02〜拡張された舞台

文:真喜屋力(沖縄アーカイブ研究所)

首里劇場の舞台は幅6間、奥行き3間ほどの広さ。しかし劇場の創立時はもう少し小さかったことが、内覧会のヒアリングと、現場検証で判明した。

すべては証言がきっかけ

2022年6月15日に開催された、大伸座関係者の内覧会でのことです。ちなみに大伸座は沖縄演劇界のスーパースター大宜見小太郎が座長を務めた劇団で、戦後に開館した多くの劇場で杮落とし興行を行なう人気の一座でした。首里劇場も1950年9月21日の開館まもない頃に、大伸座の公演が行われていたことがわかっています。

内覧会に訪れたメンバーの中には、首里劇場での舞台に立ったことがある真栄田文子さんと、首里劇場での公演の時にもぎりをした事がある佐久川順子さんら、まさに時代の生き証人が参加してくれたわけです。お二人は現場に立つことで、様々な記憶が甦り「小太郎さんはいつも楽屋のこの位置を陣取っていた」みたいな具体的なお話も多く聞くことができました。

▲首里劇場内覧時の真栄田文子さん(左)と佐久川順子さん(右)。

そのご両人が、首里劇場の舞台と花道を見ながら「もっと狭かった様に思うけど…」と、揃って疑問を投げ掛けられました。そこで舞台の上を改めて眺めて見ると、今まで見落としていた舞台拡張の痕跡が見つかったのです。

舞台上の痕跡

舞台からは斜め前方に花道が延びているのですが、花道の縁の部分の角材が、舞台の正面部分に食い込んでいる。奥行き1mほど、舞台を拡張している様に見えました。よく見ると食い込んだ角材には、手すりの柱を切り取った様な跡が大小4ヶ所ほどあります。証言と合わせて考えれ ば、一旦でき上がった舞台を後から観客席側に広げ、花道の柵をいくらか縮めたのは、ほぼまちがいないと思われます。こういうことは見ればわかりそうですが、意識しないと案外見落としてしまうものです。

▲舞台上の拡張の痕跡。

そういった事実が判明すると、この舞台の下がどうなっているのか非常に気になってきます。外側に露出した部分ですら、このようにあからさまな痕跡があるのだから、目に見えない、隠れてしまった場所には、古代の地層、あるいは失われた文明の遺跡のような何かが存在しているのではないのか?と、好奇心がうずいてしかたがないわけです。

未踏の舞台下へ潜入

舞台下に行くには二つの方法がある。一つは舞台上の点検用の蓋を開けて真下に降りる方法。もう一つは楽屋の壊れた床の穴から潜り込み、舞台下に進入し、舞台前方へ向かう方法があります。

点検用の入り口から入る方が近いのですが、下の地面まで高さがあるため、出る時に苦労しそうだと判断。楽屋側から進入することにします。
楽屋の穴は大きく、廃棄された劇場の古い椅子が詰め込まれています。それを掻き分けながら潜り込むのですが、これもけっきょくは足場が悪くて、雑に積まれた椅子に体重をかけた途端に、ズブズブと足を取られていく。ケガしないように慎重に地面に下り立ち、なんとか舞台下に移動を開始するも、想像以上に柱が多いのと、縦横に張られたクモの巣に苦戦することになります。

それでも 前進していくと舞台正面の縁に到達。これは位置からして、まぎれもなく現在の舞台の端より1m内側にある古い壁。表からは見ることができない劇場創立時の遺跡でした。

▲舞台下。右の壁はかつての舞台端の壁面。白い漆喰が裏から見える。

裏側から見ただけでも、板の隙間からは漆喰が塗られているのがわかる。外側から見える、現在の舞台端の壁は化粧ベニヤが貼られているので、それとは明らかに別物でしょう。壁の隙間から見ると、奥にはもう一枚の壁があり、新旧の壁が二重構造になっていることがわかります。

手前の遺跡側の壁の隙間にカメラと照明を突っ込んで、内部の様子を撮影したのが下の写真です。

▲新旧二つの壁に挟まれたトンネル状のスペース。

左側が遺跡となった創立時の舞台端の壁の表面。右側の壁が現在の舞台端の裏側になります。二つの時代の壁に挟まれて、拡張した部分がトンネルのようになって上手から下手へ伸びていることがわかります。

遺跡となった創立時の壁は漆喰で固められ、首里劇場のイメージカラーとも言える、明るい水色で塗装され、舞台上との境目には黄色に近いクリーム色の縁取りがついていました。

床は泥が積もっていましたが、これは観客席の床から続くコンクリート舗装。ちなみに舞台下は基本これより数十センチ低くなっていて、地面が露出しています。つまりこの写真の位置までは、かつて客席の一部だったことは、床の高さからもまちがいないでしょう。

舞台のイメージを想像してみる

「拡張前の舞台」の想像図を作成し、現在の舞台と比較したのが、すぐ下の図 です。

▲新旧の舞台の広さを比較。

奥行き1mと言うと、それほど大きくないように思えますが、見た目ゆったりとした感じがわかります。また、証言の中に花道が狭かったという証言もあったのですが、確かに拡張前は、花道から舞台に移る部分の間口がだいぶ、窮屈だったのがわかります。

工事の時期は不明

工事の時期は不明。新聞広告をめくっていけば、それらしい文言が見つかるかも知れませんが、今後の調査にご期待ください。